Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

I thiink that we are going to have to work on the sparkle for the rest of our lives.

私たちはこれからずっとキラキラとした人生を送る努力をすべきなんだ。

  それは、ほんの、ほんのささやかな事でもいいから、日々の暮らしの中で「キラキラと」した事を探しながら生きていたいという私の願望だ。

  その日は、朝から渋谷にいた。特に何をするでもなく、ロフトやら東急ハンズをうろついていたのだが、自分の物欲を満たす様なものは見つからなかった。若干の悲しさと、散財しなくてよかったという安堵が入り混じった不思議な感覚で、自分は渋谷のとあるカレー店に向かった。

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  そう今回渋谷に来た理由は、必要でない雑貨を買うのでもなく、暇つぶしで道玄坂を歩きに来たわけでもない。久しぶりに大好きなカレーを食べたいと思ったのだ。過去に何度か紹介をしたことがある渋谷の「パク森カレー」は知る人ぞ知るカレー店だ。最近でこそ、大きな看板が立てかけられ、わかりやすいが、地下の奥にある店舗に入ってみようと思う人は少なかった。その頃でも繁盛していたので、やはり旨いのだ。

 

  その店の中でも自分のお気に入りは、「パク森バターチキン」のポテソートッピング、特盛である。

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  店名の由来ともなっているパク森カレーとは、通常のルーに加えて、ご飯の上にドライカレーの様なキーマカレーの様な、もう一つのカレーが乗っており、ルーと混ぜながら食べていく。その中でも自分が推しているバターチキンは、バターチキンのコクと甘さ、そこにドライカレーのスパイシーな香辛料が合わさって、そのバランスが絶妙だと思うからだ。
  そこに素揚げされたポテトとウインナーがいい箸休めとなって、ますますカレーがすすむ。しかしどうしてこんなに素揚げのポテトは旨いのだろうか。。。
 
  その日の夜は某S氏と食事。長らく渋谷を離れていた間に、道玄坂を登り切ったあたりに「勝牛」ができていた。渋谷といえば、牛カツの本むらがつとに有名ではあるが、こちらはあまりにも待ち時間が長く、牛カツにそこまでのプライオリティを感じない自分はそんな長い時間並ぶ事について理解できなかった。
  そしてもう一つ、この「勝牛」は自分がまだ京都で学生をしていた頃の「青春の味」でもあるのだ。正直に言うと、学食でトンカツを食べれば、400円台だったあの時代に、1000円を超える食事はなかなか度胸がいる。それでもバイトの給与が振り込まれて来た時や、ちょっとした記念日などに通っていた思い出の店だ。
  トンカツが、サクサクの衣にたっぷりと濃厚なソースをかけて食べるものだとすると、牛カツは、サッとあげた、ほぼレアな牛肉をだし醤油とわさびで食べるあっさりとした料理だ。
 
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  このあっさりとした、それでもちゃんと牛肉の味を味わえる牛カツで、学生時代の自分はご飯を3杯ぐらいおかわりしていた。最後の3杯目は、温泉卵とカレーソースをご飯にぶっかけて食べていた。このソースもまたご飯にかけると旨いのだ。それぞれ出汁の風味がきいているから、それだけでもご飯がすすむ。そこにアツアツの赤だしの味噌汁をのむ。
  この京都発祥なのに、京都では滅多に食べない赤だしを出すというところがじぶんは好きだ。イメージとは正反対に比較的あっさりとした料理ゆえに、赤だしの濃厚な味噌の味が身体中に染み渡っていく。それは日本に住んでいて幸せだと感じるひと時なのかもしれない。
 
  幸せ、日々の日常の中でささやかな幸せを探し、そしてそれに感謝をしながら生きて行きたいとじぶんは思う。実際の私を知っている人からすると、その言葉に若干の猜疑心と、「キレイ売り」をしているかの様に思われるかもしれない。しかし、そう思って生きていると、自分が何気に生きているこの世界も、キラキラと輝いた様に思えるのだから不思議ではある。
 
 その夜に定番となっているお土産を頂く。
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某H氏より名古屋土産
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某S氏より熱海土産
 
みなさんありがとうございました。こういう些細な嬉しさを日々の暮らしの中で見つけて行くことも、豪華な食事に匹敵するほど素敵な事なのだと最近思う。ただ残念なのは、自分が幸せだと思うのが「貰い物」に重点がよりすぎている感がすることだけだ。