Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

I feel like I am coming down with the flu.

インフルエンザになりかけている気がする

 そのように思うときは、既に時遅し。完全に感染しているのだ。そう、先週末から 40度超えの高熱で伏せっていたのだが、ようやくここに来て目に見えて回復してきているのが実感してる。

 さて最近の自分といえば、韓流ドラマにメッキリはまっているのだ。正直言って国家としての「大韓民国」には大多数の日本人同様好印象を抱いたいる訳ではない。むしろ、反日デモをテレビで見るにつけ、不快感が募るばかりだ。

 だからといって昨今見るようになった反韓デモに参加する気になれないのもまた事実である。大声で「ゴキブリ」やら「出て行け」やらを叫んでいる姿は、某国で日の丸を燃やしたり、偉人・権力者の肖像を燃やしている姿に重なる。

 私が反日デモに嫌悪感を抱く理由は、そういう良心を疑ってしまう行動故なのだ。そうであるのに、もし自分がそのような行動を取るのであれば、自分が嫌悪しているレベルにまで墜ちてしまう、と思うからだ。

 だからこそ、大声で叫ぶよりは合理的・客観的に世界に主張する方が説得力がある様に思う。

 例えば某国は『朝鮮半島はアジアのギリシア』だと主張している。そして近代日本がその『アジアのギリシア』を侵略という行為で汚したのだという。その蛮行は、かつて栄華を誇った大英帝国ですら文化の源であるギリシアを侵略しなかったのだと続く。

 果たして朝鮮半島は『アジアのギリシア』なのか。少なくとも古代においては、朝鮮半島経由で大陸文化が日本列島に伝来したと言われている。古代史においても両国の間には相当の相違がある事は間違いないが、少なくとも明確な事が一点ある。

 それはつまり、「朝鮮半島は本当にアジアのギリシアなのか」ということだ。「偉大なる」中華文化の通過点なのか、文化の発祥地なのか。この答えには明白だろう。そのように考えていけば、『アジアのギリシア』という言葉が、非常に軽く、悲しく思えるのは私だけだろうか。

 そして、過去の文化を捏造するのではなく、現在の文化発信国として堂々としていればいいだけではないかと思うのは、私だけではないと思う。現に、韓流にはまっている人間がここにいる。

 最初はまったのは、『シティーハンターin Soul』というドラマ。これが他の韓流ドラマとは一線を画しているのだ。このドラマには、アクション・ラブコメ・サスペンスの要素がある。それが細部に???的な箇所を感じることがあっても、見事に融合しているのである。


シティーハンター in Seoul 公式サイト

 そして主人公もまたイケメン。韓国の「福士蒼太」と呼んでいるのだが、彼の目にもう吸い込まれそうなのである。

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