Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

一路マカオへ

  翌日は早朝よりマカオへ向かう。

マカオへは香港島から高速フェリーで1時間程度。近い距離ではあるが、それでも両者とも高度な自治権を持った地域で有るので、出国と入国の手続きをしなければならない。
中環のフェリーターミナルから出国手続きをし、マカオに降り立つ。本日も晴天で、日差しがあるところではコートすら必要ない。そして香港からたった1時間程度の距離であるのに、マカオは香港と全く違った雰囲気なのだ。
マカオといえば、カジノと世界遺産。このある種両極端な建物が狭いエリアに詰め込まれて独特な雰囲気を醸し出している。もちろんカジノのエリアは、どこのエリアとも共通だが、成金的、過度に煌びやかに作られている。
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こちらでもやはり中国人観光客が大挙して押しかけており、団体客が連なったバスで大移動している。あらためて中国人の人口の多さに圧倒された。そして、自分たちも、まずはマカオといえばこの場所、ともいえる有名な建造物を見にいく。
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  17世紀に建てられた聖ポール天主堂は、現代には壁の一面を残すだけである。ただ、壁一面だけであるのにその精巧さと、その特徴的な彫刻から当時の天主堂の荘厳さが伝わってくる。この遺跡には、単なるキリスト教遺跡とはまた違った雰囲気がある。それはおそらくキリスト教遺跡ではあるのに、彫刻のモチーフが日本を志向しているからだろう。刻まれた島津家の家紋は、本国日本を追われた日本人キリスト教徒が掘ったものらしい。
  戦国時代、日本の交易圏はアジアを越えヨーロッパにまで広がり、国内では南蛮文化が花開く。鎖国化により南蛮文化は萎んではいくが、時の政権の方針によって母国を追放されてしまった人々の足跡が、ここマカオで400年の時を超えて確認できたことに、あらためて文化のダイナミズムに驚愕した。
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天主堂跡から階段を下って行くと、広場になっており、さすがポルトガルの影響を受けていると感じる。石畳を歩いて行くと、左右には土産物店が建ち並び、その西洋的な路地と、中華的な土産物店のコンストラストが面白い。
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やがて、街中の教会に到着した。教会外部の騒音はここまで届いてはおらず、どこまでも静寂であった。