Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

「成人の日」がくると思い出す

 本日は成人の日。20才を成人とし、大々的に祝うのは世界的に見ても珍しい。しかも各自治体が成人式を執り行っている国は日本以外に私は知らない。それはともかく、「成人の日」と「センター試験の日」だけは毎年印象に残る。なぜだか、センター試験の日は大雪が降り、公共交通機関が麻痺したり、成人の日も天候が大荒れの時が多い様に感じる。統計的には分からないのだが、それでもイメージとして、この成人の日からセンター試験の日の間は天候が大荒れというイメージが自分にはつきまとう。

 それはともかくとして、もう一つ自分には「成人の日」に忘れられない、そして自身の成人式からずっといわれ続けている出来事がある。かなり恥ずかしいのだが、本日の話題はこの出来事。

 自分が20才の時、その当時、通っている学校が京都にあったので、一人のルームメイトとマンションをシェアして住んでいた。場所は京都の今出川同志社大学がある場所といえばわかりやすい。その場所に決めたのは、家賃の割に複数の部屋が広く、治安も良いから、であった様に思う。

 その当時、自分には同性の付き合っている人がいた。まだネットなどというものが本格的に稼働していない時期、知り合う多くは、ゲイバーであったり、雑誌、あるいは友人の紹介などである。その恋人、仮に某Z氏とするが、Z氏とは友人からの紹介であった。自分は京都で、Z君は大阪で、共に日本美術史を勉強する学生であり、ある種交友関係が狭く限られている年齢でもあるので、お互いに強く惹かれ合うのは当然だったのかもしれない。そしてZ氏とめでたく恋人になったのだが、ルームメイトには、自分に同性の恋人がいる事は伏せてあった。後から笑いながら言われたが、以前からゲイかバイのどちらかであると確信していたらしい。

 そのZ氏とは、自分が大阪に行くこともあれば、自分がいる京都に来ることもあり、ほぼ毎日、何かしらの連絡を取っていた気がする。自分が京都に住んでいた時の記憶、それは連日の徹夜麻雀と通訳ガイドのバイトぐらいしか無い。今から思うと、日々睡眠不足の中でよく生きていたと思うし、勉強をいつしたのか記憶にない。こんな自分ですら、無事に大学を卒業し、さらに進学してしまうのだから、私はラッキーであったと思う。

 さて話を戻すが、Z氏が京都に来る際は、大抵昼の1時頃に京都駅待ち合わせ。そこから、その当時はアバンティーやら近鉄百貨店やらをブラブラして、自分のマンションで夜9時頃まで遊ぶ、というのが定番コース。もちろんマンションに移動してからはラブラブモードであった。

 その事件の日、それはZ氏が成人式を迎える前日に起こった。その当時の大学生は、年が明けてもセンター試験やら祭日やらで授業がほぼ無い。むしろ来たるべきテストに備えてバイトに励んでいる時期である。自分とZ氏もこのパターンで、成人式の前日は共に一緒に過ごすことにした。そしていつもなら9時には帰るのに、エロイ事をした後にそのまま寝てしまった。

 事件が起こったのは、そのまま寝てしまった翌日のこと。知らない間に寝てしまった僕たちを起こしたのは、ルームメイトと共通の友人。例によって麻雀の誘いに部屋に入って来たのだ。

 その当時の話をルームメイトから聞いたら、「抱き枕のようにZ氏を抱きしめ」て「肩のあたりにヨダレを垂ら」し「股間のあたりには、怪しげな粘液が乾燥した後らしきもの」が付着しており、誰が見ても「その行為」をして、そのまま寝てしまったのは明白だった、様だ。

 そして恥の上塗りなのだが、目が覚めて自分が発した言葉は、「うっぎゃー」だった。人間、寝ぼけている上に、想像を絶する事が起こると何を言うか分からない。それからどうなったのか今となっては忘れてしまって記憶にないが、友人からは、この話題で何度もからかわれた。友人もルームメイトも他人のセクシャリティに寛容な人たちだったから、今でも友人関係は続いているが、それでも未だに言われ続けている。

 毎年、正月が終わり成人式の振り袖姿を見るにつけ、自分には、このハレンチな思い出が昨日のことのように甦る。自分が20才の時の話。成人式に参加していなくとも、この出来事は成人式のスナップ写真のごとく、色あせることなく頭に記憶されている。そしてその当時、自他共に認めていた相思相愛のZ氏が、いまどうしているのか頭をよぎるのである。