Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

夢見る頃を過ぎても

おかげさまで迎えたくは無いが、無事に37歳の誕生日を迎えてしまった。

毎年誕生日が過ぎ去るにつけ、こと数年間は特に、今まではただの記号であった1日が、ある実感を伴い、重く、重く自分にのしかかってくる。自分の親が自分と同年の頃、既に自分は生まれ小学校高学年。自分の親は小学校高学年の子供を養っていたのだ。その親と同様の義務を現在の自分に課すことは可能なのか。間違いなく無理だ。育児放棄をしてしまう。若かりし我が親の、その忍耐にも似た扶養するという行為、ただその点だけを取ってみても、自分には両親への尊敬の念を感じずにはいられない。

さて本日は、その自分が子供の頃の話。

たまたま買い物に出かけたドラッグストアで、レジ前にジャイアントコーンが販売されていた。自分が子供の頃は、まだまだお菓子も種類が多くなかった。ちょうど、ビックリマンシールが大ブームになった世代である。お菓子よりもオマケがもてはやされた時代ではあった。

そのような中でもオマケが無く、純粋に味だけで勝負しているお菓子があった。それが本日たまたま見つけたジャイアントコーン。この柔らかい食感のチョコレートとパリパリのウエハース部分がたまらない。

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20年ぶりぐらいに懐かしく買ってしまった。今のご時世、すいか味などというものが有るのにも驚いたが、いてもたってもいられなく、帰る道すがら封を開けて口にほおばる。

この食感!この味!

自分の記憶の中のジャイアントコーンと同じであった。20年ぶりでも自分の口は、その味と食感を覚えており、変に納得してしまったのだ。自分がお菓子を毎日食べていた頃、自分がまだ小学生の時、このジャイアントコーンと「ぬーぼー」というお菓子に並々ならぬ執着心を持っていた。まぁ育ちはあまり良くないので、口が卑しいというか、なんというか、妹の分まで横取りして食べていた。

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ぬーぼーは、エアーインチョコレートと呼ばれており、もなかの中にホイップしたかのようなチョコレートが挟まれており、口に入れると、サッとそのチョコレートが溶けてしまう。その時短が、甘い物が好きだった自分にあっていたのかもしれない。もう一度機会があるのなら、その時代の「ぬーぼー」を食べたい。

かれこれと、そんな事を考えるにつれ、やはり自分は、自分の親に精神年齢まで負けているのだと実感するのである。