Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

敬老の日

 本日は敬老の日だそうだ。休日である事は分かっているが、Happy Mondayの影響からか、最近つとに祭日の名前を思い出すことが難しくなってきている。さて、肝心の敬老の日どはあるが、自分の祖父母は全員他界しているので、現在の私にはただの休日であるだけであり、そして貴重な休日を自宅で寝て過ごすだけである。

 自宅でダラダラと過ごしているのだが、急に祖父母の思い出が甦ってきた。とりわけ祖父。ご近所でも非常にハイカラで有名で、戦後のドタバタな時でも、塗装されていない道を砂埃の中、スーツにハットで闊歩していたという逸話の持ち主である。その祖父は非常に厳格な人物で、私の子供の頃で思い出す風景は、厳格な祖父を中心とした家父長制が現在まで続いている自宅の部屋である。その祖父は自分にも厳しく、子供の頃から非常に優秀であったようだ。その当時、誰もが尋常小学校を卒業し就職する時代の中でも、その尋常小学校の校長先生が親(私の曾祖父)に直談判をし、進学したという。

 非常に厳しかった祖父ではあるが、13年ほど前より自分と二人で西国巡礼をした思い出がある。その頃には祖父もかなり老いており温和な雰囲気で楽しく霊場を巡った。頂いた御朱印は軸にし、最後に高野山で奥書を書いていただいた。この思い出が、祖父との一番楽しい思い出である。

 もちろん楽しい思い出だけではない。幼い頃は、ウォークマンの取り合いの兄弟喧嘩をしていると、「うるさい!」と言って、そのウォークマンを外の壁に投げつけ、木っ端みじんにし、テレビがうるさいと言って、文庫本を投げつけられた事もあった。

 一時期は、その尋常ならざるしつけに嫌気も差していたのだが、やはり自分は祖父の孫であると、最近しみじみと感じるのだ。電車内で子供が靴を脱がずに座り窓の外を眺めているのを見るにつけ、靴を脱ぐように注意したい願望にとらわれるし、未だに使っているボールペンは祖父の遺品である。祖父から貰った物はいろいろあるが、ボールペンだけは未だに使用している。そして現在になってようやく、我が祖父の孫であった事を心底誇りに思うのである。