Bangkok (2)Floating Market and Ayutthaya
日々変わっていく街並みの中で、バンコク早朝の路上から漂う臭いとゴミ、そしてせわしなく近寄ってくるタクシー運転手、早くも始まっている渋滞と車から排出される排気、その中でも我関せずと屋台で朝食を食べている人々。その風景は、私が初めてタイを訪れた10数年前より全く変わっていない。
本日もその景色を眺めながら水上マーケットとアユタヤに出発するために待ち合わせ場所に向かった。
水上マーケット。運河の堤から舟の上までもが商店主たちが食べ物から土産物まで販売している店だ。そしてその中をボートと手こぎボートを駆使して買い物をしたり、見物したりする場所。タイには多くの水上マーケットがあったというが、その中でも観光客につとに有名なのは、バンコクより80km、ラーチャブリーにあるダムヌン・サドゥアックの水上マーケットだ。
水上マーケットの面白味は、高速ボートから手こぎボートに移り、手こぎボートでのんびりと買い物をする事。残念なことに本日は大人数の人々がそこに来ており手こぎボートへの搭乗時間が無かった。ただ、水上マーケットの雰囲気だけは楽しむ事が出来て楽しかった。
その後は本日のメインイベントであるアユタヤ遺跡を見に行く。14世紀頃に成立したタイの王朝で、中国・ヨーロッパ・琉球との貿易で大いに栄えた王朝である。
現在でもそうであるが、タイが東南アジアでも裕福な国家として成立している理由は、ヨーロッパとアジアとの中継地点として一種のハブ的な地理的優位性である。昔よりその特徴は変わらず、貿易を通じ文化も貪欲に吸収していった。だから建設物はクメール文化の影響を受けて独自進化している。
内部の権力闘争などはあったが、栄えていた文明が衰退していくのは、16世紀。ビルマからの継続的、執拗な攻撃をうけており、18世紀に滅亡する。アユタヤは、内部的には5つの王家の権力争いと外部的にはビルマからの攻撃によって滅亡したのだ。
徹底的に破壊されたアユタヤ。余りにも徹底的に破壊されていたので、次の王権はトンブリーに遷都される事になる。
アユタヤの破壊状況はすさまじく、現在残されているレンガの崩壊状況、中途半端に壊された壁を見ているだけでも、予想に難くない。胴から上を切られてしまった仏像がうち捨てられてしまった遺跡をみるにつけ、当時の人々が泣く泣く新しい首都を作るに至る悲しみが分かる気がするのだ。そして、ワットプラシーサンペットを眺めると、その王朝の反映ぶりとのギャップが、より一層哀愁を誘う気がしたのである。