Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

Bangkok (4)Pattaya

 パッポンのアジアンテイスト溢れるマッサージ店でカウントダウンを迎えたのち、素直にホテルに戻り就寝した。バンコク滞在3日間という比較的短い滞在のため、滞在中は相当に忙しいのだ。翌日は早朝より、パタヤに移動。まずは集合場所まで電車で移動した。到着以来睡眠不足が続いている為か、さすがに起床するのが日に日に辛くなってきており、本日は間に合わないかと思ったが、ギリギリ間に合った。(ほんの少し遅れた)

 世界に名を知られるタイの一大リゾート地であるパタヤは、ベトナム戦争中、付近にあったビーチを米軍の保養地として使用したことに始まる。その当時は他の東南アジアの観光業と同様に性産業と強く結びついており、その当時のパタヤは歓楽街としての側面が強かった。

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 ベトナム戦争が終わり米軍が去ったパタヤは、それまでの興隆が見る影もないように急速に衰退していったようである。そのパタヤを「再発見した」のが、ヨーロッパからの観光客だ。パタヤ単独で24000室のホテル客室を誇り、地の利を活かしてヨーロッパからの観光客を招き入れることに成功したパタヤには現在世界中の人々が集い、それはまるで人種の坩堝のようであった。

 観光客の増加は、言い換えれば大衆化とサービスの低下、さらには水質の悪化を招く。事実パタヤビーチ自体は汚くは無いが、決して綺麗な訳でもなく、それ故にパタヤビーチから高速ボートで30分程度移動したラン島に多くの人々が行く。

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 ラン島に移動し水着に着替える。そしてビーチパラソルの元ビーチチェアに座り、ビーチを見渡した。確かにパタヤビーチよりもラン島のビーチの方が水が綺麗だ。緑がかり少し濁っていた水は、ラン島では澄み切ったエメラルドブルーであった。太陽が燦々と輝いている中、エメラルドブルーの海水、そしてサラサラの砂の上を歩くのは非常に気持ち良かった。

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 しかし実際に水に浸かると冷たい。暫く浸かっていると水温に体が慣れてくるが、それでも一度みずから上がると一気に震えがくる。そして水の中に長時間いる事はなかなか難しく、浮き輪を持って水と戯れるだけでもすぐに飽きが来、またビーチチェアに座るという事を繰り返していた。

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 ビーチの側には、アパレルやちょっとした小物、そしてフルーツや軽食の屋台が建ち並び、私たちが向かう途中のコンビニで買ったお菓子の他にモンキーバナナやココナッツジュースなどを購入して過ごす。

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 そしてマリンアクティビティとしてバナナボートに乗る。よくテレビで芸能人がひっくり返されている様子を見るが、実際乗ってみると非常に大きな作りで、そうそうひっくり返る事は無い。引率している人間が、ひっくり返そうとして急カーブする事で、その遠心力で吹っ飛ぶのだ。

 吹っ飛ばされて感じたこと、それは足が着かない位の水に入ると、非常に怖いし、急激に体力を消耗していく。落とされた場所から乗っていたバナナボートに戻り、自力でまたバナナボートに乗ることなど至難の業であった。

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 楽しい時間はあっという間に過ぎ、14時過ぎにラン島から脱出。パタヤビーチまで戻り、その後バスに乗り込む。幼い頃、家族と一緒に出かけた海水浴や、プール。そして学校のプールの後は随分睡魔に襲われたが、その感覚が甦る。バスに揺られていると自然と眠っており、気づくと1時間30分後、そしてバスの全員がうたた寝をしていたのだ。