Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

Sendai ( 2 )

利休松島店で1時間ぐらいの食事をし、外に出ると既に土産物店は閉店の準備。こちらの閉店時間は早い様である。あれ程店先にいた観光客の姿もまばらで、それはまるで、シャッター通りと化した商店街に瞬間移動したかの様であった。
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  松島から仙台に戻るルートは、行きと違うルートを選択する。
山間部を走るのよりも、少しでも松島を見ながら帰りたかったからである。それだけ松島は幻想的で美しかった。あいにくの曇りがちな天候ではあったが、水平線の彼方に雲か霧かがわからない春霞が、松島をより一層蠱惑的な雰囲気にしていた。徐々に日がくれて薄暗くなって行く中で、煙幕に包まれた様にその姿を消して行く島々は、何処か儚く一種の幻想を見ているかの様なひと時であった。
 
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  45号線で仙台に戻るとき、以前頻繁に仙台を訪れていた頃の思い出がよみがえる。少しの恋の話と仕事の思い出。その一つ一つが、仙台へ戻る道を思い出す時に蘇ってくる。
  日常とは連続した夢だ。忙しい日々を過ごしていると、楽しいことも辛いことも、その一つ一つがいつの間にか現実から乖離してしまって今の自分から遠く離れた所に行ってしまう。それでもふとした瞬間に、その時の自分の想いや感情が蘇ってくる。45号線を運転しながら、あの若かりし28歳の思い出に浸れただけでも、今回仙台に来てよかったと思った。
 
  仙台に着けば既に夜。さすがに北国の日に入りは早い。夕食を食べようとも思ったが、昼食を15時過ぎに、さらにたらふく食っている身ではある。さすがにこの時間には腹は減っていない。同行者とは日頃ふとした瞬間に「広い湯船に浸かりたい」やら「温泉に行きたい」と話していたので、ホテルは大浴場があるところにした。この旅で少し後悔をしているといえば、温泉宿を予約すべきだったのだ。仙台に到着してから、その考えに至り、若干の後悔をする。
 
  その後は翌日の11:00までホテルの部屋で過ごす。ダラダラと過ごす時が過ぎ去る時間はどうしてこんなに早いものか。気づけばチェックアウトの時間になってしまっていたのである。帰路に着くためにレンタカーを返却し、仙台駅に向かう。時間はちょうどランチタイム。ということで、ランチに牛タンを食べる。
  ランチは「喜助」にした!仙台に来た目的は、某S氏の陣中見舞いと観光であったはずなのに、いつの間にか「牛タン食い比べ企画」に成り下がってしまっている、と思わなくは無いが、それでも某S氏は牛タンが大好物らしい。密かに滞在中は1日1回は必ず牛タンを食べると決心した、という程の牛タン好きらしい。牛タンの厚切り定食を注文し、様々な味の牛タンを味わう小皿を注文し、たらふく食う。
 
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  正直食いすぎだ。食い過ぎて動けない。コーヒーを飲みながら暇を潰すが、考えてみれば本当に牛タンしか食っていないでは無いか!短期の滞在だから、ある程度そうなることは予想がついた。それでも100%仙台の食事が牛タンとは我ながら酷い。そう気づいた頃は既に時遅し、今度は福岡トランジットで上海に戻る時刻が刻々と近づいていた。
 
「デブは炭水化物が好き」とよく言うが、「ホモは男らしいしぐさ」が好きだ。買い物の時に買い物カゴを持ってくれたり、はたまたお見送りをしてくれるような、ほんの些細な事に胸キュンである。今回の同行者は、慣れない土地で疲れも溜まっているはずなのに、そんなところは微塵も見せずに見送ってくれた。仙台遠征。それは一見無駄な行為だったのかもしれない。しかし世俗にまみれた自分にも、すごく純な部分がまだ残っているのだと再確認したのだ。