Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

GIFT

  ホモはプレゼントが好き

 
  それは間違いない。それもちょっと好意を持った殿方から、ささやかになものを頂くと、それだけで昇天してしまうほどのアドレナリンが放出される。そこには価格や自分の好み、はたまた使用頻度などというのはないのである。その人が自分のことを気にしてくれていた、ただその一点のみで嬉しいのだ。
 
  今はかくいう私も学生時代は自他ともに認める「金専」であった。恥ずかしながら、今でもお金は大好きなのだが、正直に言うと札束を見るだけで勃起するほどで、心療内科を受診したこともあった。ちなみに受診した医者は、「笑ながらそれでもいいじゃない」で済まされたのだが、今となってはいい思い出である。
 
  そのころの自分は狂っていた。盛り場に行き、靴と時計、鞄を見ただけで大体の年収と性格が予想ついた。腐っても関西で一番おしゃれだと言われる神戸で高校時代を過ごしている。その辺のOLよりかはブランドの価格には詳しい。で、自分のボーダーラインをクリアした人に声を掛けてまずは友人になるというのが、その当時の自分の戦略だった。
 
  そんな話も過去のこと。ある程度自由になるお金が自分にできると、お金の「ありがたみ」は当然ながら、それを持つことによって失ってしまうものの多さに気づくのである。自分の場合は「若さ」。金持ちを探し回っていたあの頃から既に20年の歳月が過ぎ去ってしまった。適度なお金さえあればいい、むしろ自分には若さが欲しい!
 
  そう思う自分は、どこまでも強欲で、死んだ時に地獄の業火に焼かれるだろうと思わなくもない。かくいう自分は、大学時代の専門は「浄土教美術」で、大学院時代は「地獄絵」が専門だったから、地獄には一際詳しい。ゆえにより一層自分の強欲さに恐れおののくのである。
 
  お金持ちと付き合いたい、お金持ちになりたい、それは実現の可能性はまだある。少なくとも若干の運と計画性を持てば、実現可能な夢だ。それが叶えられないのは、その計画に矛盾があるからである。少なくとも、私たちが生きている資本主義という世界は、時間が経てば経つほど貧富の差が広がるシステムなのだ。であれば、そのシステムをうまく使えば富豪になることはできなくとも、多少の金持ちになることはできると思う。
 
  だが、年齢に逆行するというのは無理だ。どんなに整形や化粧品を使ったとしても今の自分が20歳前後に戻ることはできない。歴代中国の皇帝が不老長寿の薬を求めていたことは有名な話ではあるが、自分にはその気持ちが少しわかる。
 
  さて、話は大幅に変わるが、2ヶ月前ぐらいより、ちょくちょく「お土産」を頂く事があった。まずは、某C氏よりディズニーシーのお土産
f:id:fitzgerald_jp:20160313122019j:plain
この手のお土産って、ケースとパッケージに手が込んでいるだけで、味はイマイチなんだろうと思っていたが、このクッキーはお世辞抜きでどれも美味しかった。特に自分はキャラメル味が、本当にキャラメルの風味が効いていて好きだ。
  次に某R氏からは沖縄土産を頂く。
f:id:fitzgerald_jp:20160313123923j:plain
なんと可愛いシーサーなんだろう。すぐにリビングの小物置き場に追加した。沖縄固有の伝説獣であるシーサーは犬、もしくは獅子をかたどったものとして作られた。魔除けと招福を祈願して屋根の上や玄関に置かれていることが多い。現地沖縄で、あの朱の屋根と青い空を背景にシーサーが置かれているのをみると、その悠々たる姿に固唾を飲んでしまう。やはりシーサーは玄関に置くべきなのかもしれない。だが、自分はリビングに置くことにした。それはこの愛くるしいシーサーをより多くの時間見ておきたいと思ったからだ。
f:id:fitzgerald_jp:20160313123925j:plain
  そしてまたまた某C氏より仙台土産の「ずんだもち」を頂いた。正直に言うと、自分はまともなずんだ餅に当たったことがなかった。時々大好きな人がいるが、自分はそんなに好きでもなかったのだ。それ故に「すんだもちかぁ」と頂いた時に思ってしまった。ただ頂いたものであるので、無下に食べないのも申し訳ない。そこで試しに1個食べてみる。
  それは自分が思っていたずんだもちとは全然違ううまさ。ちゃんと豆の自然な甘さがして、餅も柔らかくモチモチ。これがずんだもちなんだと再認識した。前日仙台に行く機会があったので、これをもう一度買いたいと探し回ったが見つからない。もう一度このずんだもちを食べたい。