Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

上海小籠包

 自分は小籠包、中でもしっかりと皮が焼かれた、焼き小籠包が大好きである。熱々の皮から肉汁が溢れ出し、熱い熱いといいながら食べる事は、もうまったく至福の時である。このような絶品料理を生み出した中華料理は尊敬に値する。

 自分がこの料理と巡り会ったのは大学院生であった頃だ。大学院時代、自分はひょんな事から中国は上海に留学をしていた。その頃、これからは中国が伸びると言われていた時代ではあったが、現在よりも貧しく、この焼き小籠包が日本円で100円前後でたっぷりと食べられていた時代である。思えばこの頃の上海が最も幸せだったのかもしれない。まだ誰もが将来への希望を持ち、共産主義が根付き、貧富の差が広がっていなかった時代、食べるものはようやく豊富になってきたが、贅沢ではない時代であった。自分にはこの焼小籠包を注文する時、常にこの頃の思い出が甦るのだ。

 さて、小籠包。もちろん本国でも値段が上がってはいるが、日本で食べるとバカ高い。その価格設定は異常ではあるが、それでも食べたくなる焼小籠包の店が新宿にある。最近、やたら上野のアメ横で焼小籠包の店がものすごいスピードで繁殖しているが、そのへんの焼小籠包を凌駕するぐらいの焼小籠包の店が新宿にある。

 私たちが赴いたのは、閉店間際の22:30頃。閉店が23:30なので、店員さんも無愛想で、最初のオーダーがラストオーダーという状況。それでもこの店の小籠包を食べたかったのだ。なのでドリンクと焼小籠包を4人前、さらには酢豚と青椒肉絲、エビマヨを注文した。

f:id:fitzgerald_jp:20140517225150j:plain

 まずは青椒肉絲が到着。ここの青椒肉絲はそんなに脂っぽくは無く、ピーマンもシャキシャキ、味も濃くないので、ピーマンの苦みがほどよいアクセントになって旨い。

 

f:id:fitzgerald_jp:20140517230536j:plain

 そして、お待ちかねの焼小籠包が到着。しっかりと生地は焼かれ、そしてゆっくりと皮を破ると、これでもかというぐらいのスープと肉汁が出てくる。レンゲでゆっくりとスープを味わい、一気に囓りたい欲望を飲み込み、ゆっくりと小籠包を口に運ぶ。うまい。カリッとした食感とモチモチとした食感が同時に訪れ、その後、餡のしっかりとした味が口中に広がる。

f:id:fitzgerald_jp:20140517230842j:plain

 エビマヨはオマケで注文した様なもの。あまり期待はしていなかったのだが、それでも本格中華で注文するような、マヨネーズの味が濃くなく、むしろさっぱりとした感じであった。(味が薄いという訳ではない)そして、通常の小エビではなく、少し大きめのエビでプリプリとした食感で大変美味しかった。

 

f:id:fitzgerald_jp:20140517230304j:plain

 この店でも大好きな一品、黒酢の酢豚。酸味とカリカリに揚げた豚が良くあっている。この店の特徴ではあるが、中華料理であるのに、盛りつけが美しいのだ。まるでちょっとした洋食屋で食べているかのよう。もちろんそのような幻想は店員の無愛想な表情でかき消されるのだが、それでも料理の味は最高なのである。

 

 昨今の中国本土では、外国人を中華料理でもてなす時に、シャンパンとフランスパンが料理のお供として出される。そして料理は大皿ではなく、既に個別にサーブされた小皿。まるでフランス料理のコースを食べているかの様に出されてくる。それを時代だと感じるか、はたまたフランス料理のパクリとみるかは分からない。

 ただ、自分がこの店に赴いた時には、適度に西洋風の盛りつけをされた美味しい料理を食べながら、フランスパンではなく小籠包を食べ、〆に炒飯を食べるのが最高に旨いと、ただただ感じるだけなのだ。

 上海小籠包 厨房 阿杏 

同行者:某N氏