Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

You are an old woman if you lick your finger when you turn over papers.

紙をめくる時、指を舐めるのはババアになった証拠だと言われる

    しかし、自分はそんな下品なことはしない。それは、手が乾燥しているわけではなく、はたまた年を食っていないわけでもなく、紙をめくる時、それは大抵読書の時なのだが、自分は浴槽に浸かっているからだ。そう、私の読書時間は風呂の時。それも2時間ほどぬるめのお湯に浸かるものだから手はふやけページもすんなりとめくることができる。

  そんなバスタイムで読む本は、好きな作家は数あれど、軍事サスペンスやリーガルサスペンスが最も好きだ。特に学生時代から贔屓にしているのはトムクランシー。トムクランシーが描く、特にジャックライアンシリーズは、そのリアリティーはさることながら、シリーズが進むに連れて様々な人間模様も描かれており非常に面白い。

  それが先日訃報が届く。トムクランシーが亡くなったのだ。もう彼が描くジャックライアンシリーズを読むことができないのでは無いか、正直落胆した。なぜなら、様々な小説の中でジャックライアンシリーズ程私を虜にした小説は無いのだから。

 結果から言えば、 そんな落胆も杞憂に終わる。トムクランシーの共同共同執筆者が、彼の意思をついで、ストーリーを続けることになったのだ。そういうことができてしまうのが、なんともアメリカらしいとも言えるが、引き続きシリーズを読むことができるのは嬉しい。

  そのトムクランシー亡き後、描かれたテーマは、米朝戦争。そう、アメリカと北朝鮮との表に出てこない対決を描いたものである。もちろん、私たちがより北朝鮮という脅威に直面しているからかもしれないが、より一層リアリティーもって読み進めることができるのだ。

  充実したバスタイムを過ごしているのだが、2時間を過ぎると流石に疲れてくる。むしろ、自分の場合は、それぐらいにしないと、ひたすら時間を忘れて読書してしまうので、その読書方法が逆にあっていると思うのだ。

  長時間の入浴の後、急激に体内から水分が失われる。まさしく乾燥との戦いである。何もしないと顔は突っ張るし、身体は粉を吹く。そういう自分はおばさんなのかもしれない。なぜなら、入浴中はともかく、浴室を出た瞬間から、紙をめくれる程の水分が表面には残っていないのだから。そう思いながら、自分は全身にたっぷりのヒルドイドを塗りたくるのだ。

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The tiger puffer is said to be the most delicious of all the puffers

 
トラフグが一番美味しいと言われている

  そのトラフグを店名につけたフグ料理店に先日行ってきた。

  かくいう自分にはアジアン料理を常に食っているイメージがあり、自分もそれをあえて否定はしていないのだが、そんな自分でもフグだけは別格、大好きである。毎年冬の間に少なくとも5回程度は食べている。本当は週1回ぐらいのペースで食べたいのであるが、やはり高級料理に分類されるフグである、そうそう行く機会がないのだ。

  フグを食べるのはやはり宗右衛門町に限る。どこか雑多な感じがする街で、隣には同伴か、あるいはアフターで食事をしているキャバ嬢がお客様と一緒にいる隣で食うのがよく似合う。それもそのはず、フグの一大産地は下関であるが、一大消費地は大阪だ。それもずば抜けて大阪の消費量が多い。それほど大阪人にフグは愛されているのだ。

  フグは魚としては、そんなに魅力的ではない気がする。大きさも大きくはないし、骨も多い。さらには猛毒まで持っている魚だ。確かに調理方法が確立されているとはいえ、それでもフグを食べようと思うのは変人だとも思えなくはない。

  さて、今回赴いたのは、渋谷のとらふぐ亭。

tabelog.com

  入り口に生簀があり、フグが泳いでいたが高級店には見えない。どこか時間の経過とともに薄汚れた感じが漂っている。店内に入るまではここが美味しいフグを出すとは思えなかった。それが引き戸を開けて店内に入ると一転する。縦長に奥行きのある店内は板敷でカジュアルな和風。店内も非常に美しく清掃されており、  それぞれの個室が配置されていた。欲を言うなら、もう少し個室に独立性を持たせて隣の会話が聞こえない様にしてもらいたいが、この価格でそこまで求めるのは無理というものだろう。

  今回注文したのは、店が推している「てっちりコース」にした。

店舗の方が、手際良く鍋と、先付けの準備をしてくれる。

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先付けは定番の「皮刺し」これを出され、口に入れると、自分はこれからフグを食べるのだという臨戦体制に入る。ポン酢のほのかな酸味が自分の胃を刺激し、急に食欲が高まって行くのだ。
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その次は「てっさ」コリコリとした食感がうまい。これが分厚く切られていると固くて何度も噛まないといけない。やはりフグは薄切りに限る。もちろん自分はぶつ切りも好きではあるが、てっさには及ばない。
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ぶつ切りのうまさは、そのかめば噛むほど口の中に広がるフグのうまさだろう。口の中がフグのうまさでみたされて、それだけで幸せな気分になる。
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その次に運ばれてきたのは、「唐揚げ」フグは生であればコリコリととしているが、火を通すと柔らかく、そして非常に淡白だ。かじると身が骨からホロホロと外れ、それが衣の味と馴染んで非常にうまかった。
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やはりメインは「てっちり」だ。今まさに泳いでいたフグがぶつ切りになって出されてきた。まぁ、本当にうまいフグは捌かれて一日程度置いたものだと言われるが、十分にうまかった。こんなに淡白な魚なのに食べても食べても飽きないし、味が口いっぱいに広がっていく。もう至福の時であった。
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最後は定番の雑炊でしめ、2時間程度に及んだフグ料理に別れを告げた。
  フグを食べたという少しの満足感と、もうこれで終わりだという哀しさを表しているように、夜の渋谷は寒かった。しかし、普段であれば、「寒い、寒い」と愚痴の一つでもこぼすだろうに、今日だけは、まだまだフグの旬は過ぎていないという幸福感に満ち溢れていたのだ。
 
同行者:某S氏

GIFT

  ホモはプレゼントが好き

 
  それは間違いない。それもちょっと好意を持った殿方から、ささやかになものを頂くと、それだけで昇天してしまうほどのアドレナリンが放出される。そこには価格や自分の好み、はたまた使用頻度などというのはないのである。その人が自分のことを気にしてくれていた、ただその一点のみで嬉しいのだ。
 
  今はかくいう私も学生時代は自他ともに認める「金専」であった。恥ずかしながら、今でもお金は大好きなのだが、正直に言うと札束を見るだけで勃起するほどで、心療内科を受診したこともあった。ちなみに受診した医者は、「笑ながらそれでもいいじゃない」で済まされたのだが、今となってはいい思い出である。
 
  そのころの自分は狂っていた。盛り場に行き、靴と時計、鞄を見ただけで大体の年収と性格が予想ついた。腐っても関西で一番おしゃれだと言われる神戸で高校時代を過ごしている。その辺のOLよりかはブランドの価格には詳しい。で、自分のボーダーラインをクリアした人に声を掛けてまずは友人になるというのが、その当時の自分の戦略だった。
 
  そんな話も過去のこと。ある程度自由になるお金が自分にできると、お金の「ありがたみ」は当然ながら、それを持つことによって失ってしまうものの多さに気づくのである。自分の場合は「若さ」。金持ちを探し回っていたあの頃から既に20年の歳月が過ぎ去ってしまった。適度なお金さえあればいい、むしろ自分には若さが欲しい!
 
  そう思う自分は、どこまでも強欲で、死んだ時に地獄の業火に焼かれるだろうと思わなくもない。かくいう自分は、大学時代の専門は「浄土教美術」で、大学院時代は「地獄絵」が専門だったから、地獄には一際詳しい。ゆえにより一層自分の強欲さに恐れおののくのである。
 
  お金持ちと付き合いたい、お金持ちになりたい、それは実現の可能性はまだある。少なくとも若干の運と計画性を持てば、実現可能な夢だ。それが叶えられないのは、その計画に矛盾があるからである。少なくとも、私たちが生きている資本主義という世界は、時間が経てば経つほど貧富の差が広がるシステムなのだ。であれば、そのシステムをうまく使えば富豪になることはできなくとも、多少の金持ちになることはできると思う。
 
  だが、年齢に逆行するというのは無理だ。どんなに整形や化粧品を使ったとしても今の自分が20歳前後に戻ることはできない。歴代中国の皇帝が不老長寿の薬を求めていたことは有名な話ではあるが、自分にはその気持ちが少しわかる。
 
  さて、話は大幅に変わるが、2ヶ月前ぐらいより、ちょくちょく「お土産」を頂く事があった。まずは、某C氏よりディズニーシーのお土産
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この手のお土産って、ケースとパッケージに手が込んでいるだけで、味はイマイチなんだろうと思っていたが、このクッキーはお世辞抜きでどれも美味しかった。特に自分はキャラメル味が、本当にキャラメルの風味が効いていて好きだ。
  次に某R氏からは沖縄土産を頂く。
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なんと可愛いシーサーなんだろう。すぐにリビングの小物置き場に追加した。沖縄固有の伝説獣であるシーサーは犬、もしくは獅子をかたどったものとして作られた。魔除けと招福を祈願して屋根の上や玄関に置かれていることが多い。現地沖縄で、あの朱の屋根と青い空を背景にシーサーが置かれているのをみると、その悠々たる姿に固唾を飲んでしまう。やはりシーサーは玄関に置くべきなのかもしれない。だが、自分はリビングに置くことにした。それはこの愛くるしいシーサーをより多くの時間見ておきたいと思ったからだ。
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  そしてまたまた某C氏より仙台土産の「ずんだもち」を頂いた。正直に言うと、自分はまともなずんだ餅に当たったことがなかった。時々大好きな人がいるが、自分はそんなに好きでもなかったのだ。それ故に「すんだもちかぁ」と頂いた時に思ってしまった。ただ頂いたものであるので、無下に食べないのも申し訳ない。そこで試しに1個食べてみる。
  それは自分が思っていたずんだもちとは全然違ううまさ。ちゃんと豆の自然な甘さがして、餅も柔らかくモチモチ。これがずんだもちなんだと再認識した。前日仙台に行く機会があったので、これをもう一度買いたいと探し回ったが見つからない。もう一度このずんだもちを食べたい。
 
  

Japanese Foods in Shanghai

  仙台から上海に戻る。楽しい時間は本当に瞬きをしているがごとく過ぎ去り、また上海での日々が続くと思うとなかなか気が滅入る。往路は新千歳トランジットという無茶なルートではあったが、復路は福岡トランジット。まだ上海に近づいていると思うと嬉しい。福岡空港で明太子を購入して国際線に移動した。

  飛行機を降りれば、そこは上海だった。街に出るまでもなく、人々が発する声と喧騒が上海なのだ。14時からずっと移動している身なので、正直身体は疲れていた。それでも仙台に行ってきたという興奮が身体を奮い立たせる。本当は一刻も早くベッドの中に潜り込みたいほど疲れているのに、全然そんな気分にもならないし、睡魔も襲ってこない。
  22時の上海の街を一人歩いていると、一際明るく照らされた建物があった。それはペニンシュラホテル。この上海を代表するラグジュアリーなホテルには懐かしい思い出がある。
  まだ自分が23歳だった頃、ちょうど上海に留学をしており、そこで一人の恋人ができた。その恋人は地方都市出身でなかなか中国語が通じにくかったが、何故だか二人ウマがあった。毎日話していても飽きない。ずっと一緒にいても話す話題が尽きないのだ。その恋人とよくいたのが、このペニンシュラホテルにあるスタバと、カフェ。カフェのバナナポートを二人でつつきながら数時間会話するのが本当に楽しかった。
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  そんな思い出を思い出しながら、友人に電話をした。まだまだ全然眠たくもならないし、道を歩いていたら急に腹が減ってきたのだ。デブの鉄則は深夜に高カロリーを摂取するが、ここでもデブの鉄則を前回にして友人と食事をすることにしたのである。
  日本にいる時は、和食など滅多に食べないのに、海外に滞在していると何故にこんなにも和食が食べたくなるのだろう。価格が高いだけで品質も悪いのに無性に食べたくなる。そんなこんなで、和食店に入った。
 まずは喉が渇いていたので、コーラを注文する。やはり食事にはコーラである。炭酸のシュワシュワが乾燥した喉を潤してくれる。その感に運ばれてきたのは、筍の煮物。
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  ちゃんとダシの味がして筍にも火が通っている。かといって付け合わせのワカメもに過ぎてはおらず、美味かった。この味の筍を出す店であれば、そこそこ料理に期待できるのでは無いか・・・。
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  次に出てきたのは刺身の盛り合わせ。こちらは薄すぎる。薄く切りすぎているために、スーパーのおつとめ品を食べた様な食感。まるで歯ごたえがない。そんな中で、一番新鮮だと思われるわさびだけが、まるで今すりおろしたかの様な刺激を放っていた。
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  刺身の時点で、煮物の時に感じていた期待が、自分の浅はかな考えであると気づく。続いて出てきたカニも身が少なくて、身をほぐすのに時間がかかり、途中で面倒になってやめてしまった。これだったら缶詰を買って食べた方がまだマシである。
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  極め付けが、すき焼き。写真ではわからないが、すき焼きであるのに、焼肉様だと見間違えるほどの厚さ。鍋に入れるまでもなく、完成したすき焼きはまずいものになるだろうと想像がつく。
  案の定、火を通したすき焼きの肉は非常に硬く、さらに分厚い肉はとうていすき焼きとは思えなかった。そんな、おそらく一生出会えない様なすき焼きを食べた後のうどんは、煮詰まった割下とよく絡まって非常に美味しかった。
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  上海の夜、それは日本で食べる和食がすごく美味しいものであることを再認識した夜なのだ。
 

Sendai ( 2 )

利休松島店で1時間ぐらいの食事をし、外に出ると既に土産物店は閉店の準備。こちらの閉店時間は早い様である。あれ程店先にいた観光客の姿もまばらで、それはまるで、シャッター通りと化した商店街に瞬間移動したかの様であった。
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  松島から仙台に戻るルートは、行きと違うルートを選択する。
山間部を走るのよりも、少しでも松島を見ながら帰りたかったからである。それだけ松島は幻想的で美しかった。あいにくの曇りがちな天候ではあったが、水平線の彼方に雲か霧かがわからない春霞が、松島をより一層蠱惑的な雰囲気にしていた。徐々に日がくれて薄暗くなって行く中で、煙幕に包まれた様にその姿を消して行く島々は、何処か儚く一種の幻想を見ているかの様なひと時であった。
 
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  45号線で仙台に戻るとき、以前頻繁に仙台を訪れていた頃の思い出がよみがえる。少しの恋の話と仕事の思い出。その一つ一つが、仙台へ戻る道を思い出す時に蘇ってくる。
  日常とは連続した夢だ。忙しい日々を過ごしていると、楽しいことも辛いことも、その一つ一つがいつの間にか現実から乖離してしまって今の自分から遠く離れた所に行ってしまう。それでもふとした瞬間に、その時の自分の想いや感情が蘇ってくる。45号線を運転しながら、あの若かりし28歳の思い出に浸れただけでも、今回仙台に来てよかったと思った。
 
  仙台に着けば既に夜。さすがに北国の日に入りは早い。夕食を食べようとも思ったが、昼食を15時過ぎに、さらにたらふく食っている身ではある。さすがにこの時間には腹は減っていない。同行者とは日頃ふとした瞬間に「広い湯船に浸かりたい」やら「温泉に行きたい」と話していたので、ホテルは大浴場があるところにした。この旅で少し後悔をしているといえば、温泉宿を予約すべきだったのだ。仙台に到着してから、その考えに至り、若干の後悔をする。
 
  その後は翌日の11:00までホテルの部屋で過ごす。ダラダラと過ごす時が過ぎ去る時間はどうしてこんなに早いものか。気づけばチェックアウトの時間になってしまっていたのである。帰路に着くためにレンタカーを返却し、仙台駅に向かう。時間はちょうどランチタイム。ということで、ランチに牛タンを食べる。
  ランチは「喜助」にした!仙台に来た目的は、某S氏の陣中見舞いと観光であったはずなのに、いつの間にか「牛タン食い比べ企画」に成り下がってしまっている、と思わなくは無いが、それでも某S氏は牛タンが大好物らしい。密かに滞在中は1日1回は必ず牛タンを食べると決心した、という程の牛タン好きらしい。牛タンの厚切り定食を注文し、様々な味の牛タンを味わう小皿を注文し、たらふく食う。
 
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  正直食いすぎだ。食い過ぎて動けない。コーヒーを飲みながら暇を潰すが、考えてみれば本当に牛タンしか食っていないでは無いか!短期の滞在だから、ある程度そうなることは予想がついた。それでも100%仙台の食事が牛タンとは我ながら酷い。そう気づいた頃は既に時遅し、今度は福岡トランジットで上海に戻る時刻が刻々と近づいていた。
 
「デブは炭水化物が好き」とよく言うが、「ホモは男らしいしぐさ」が好きだ。買い物の時に買い物カゴを持ってくれたり、はたまたお見送りをしてくれるような、ほんの些細な事に胸キュンである。今回の同行者は、慣れない土地で疲れも溜まっているはずなのに、そんなところは微塵も見せずに見送ってくれた。仙台遠征。それは一見無駄な行為だったのかもしれない。しかし世俗にまみれた自分にも、すごく純な部分がまだ残っているのだと再確認したのだ。
 

Sendai

  某S氏が信用しているという「動物キャラナビ」によると私は「落ち着きのあるペガサス」だそうだ。その性格を引用すると

神経質。知的レベルが高くインテリ。感受性が強い。自由を愛する人で、束縛される環境は絶対ダメ。何よりも直感や気分を最優先させる。大変な努力家だが、何かひとつ飛び抜けた才能を持っている天才肌の人が多い。決断力や実行力が無いのが難点。 

なんだとか。果たしてここで指摘されていることが当たっているかはわからない。ただ、頻繁に言われている事ではある。

  その某S氏が3月4日から仙台に行くという。なんたる仕打ちだろうか、片田舎の仙台に行かされるというのは軽く島流しの様な雰囲気さえ漂う。そんな思いもあり、その仙台に行くと聞いてすぐに、陣中見舞いに行かないと、と直感的に感じたのである。そしてそう思った瞬間にすでに予約を入れてしまっていた。

  当初はその様な思いつきであった。だが、考えてみれば、上海に滞在の身の上である。仙台との直行便は週に2便のみ、相当スケジュールに無理がある。当然、仙台に行くルートを選んでいると、最も時間的に可能なスケジュールは、新千歳空港トランジット!仙台に行くのに、仙台を超えて、また戻るという一件無駄なルートがスケジュール的に都合が良かったのである。

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  飛行機やホテルなどを予約していたが、正直にいうと仙台に行ってもすることが無い。ホテルでこもろうか、街歩きでもしようか、などとも考えたのだが、もう二度と仙台などという街に降り立たない事も考えて、日本三景の一つでもある「松島」観光に出かけることにした。そう決めたらすぐに、レンタカーの手配をする。それも出発日の前日。自分が贔屓にしているレンタカーは全て埋まっており、いろいろとネットで物色していると1店舗だけ空車のあるショップが見つかった。

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  当日の14時。目印はドンキホーテ前。早速レンタルした車に乗り、現地に赴く。久しぶりの運転ではあったが、現役時代の感は鈍っていない。無事にドンキホーテの駐車場に車を停めて、店に入った。

  仙台から松島までは1時間程度。45号線をひたすら北上するだけである。一地方都市の仙台も、少し車を走らすとのどかな雰囲気に変わっていく。やがて平野が山間部を走る様になり、本当に松島に着くのかと思っている中、急に視界が開け、幻想的な景色が広がった。

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 少し高台から車で下る中で目に見える景色は本当に幻想的だ。静かな湾に点々と在る島々が、周りの静けさと合間ってまるで墨画に描かれたような景色であった。

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  土産物店が立ち並ぶ道に車を走らせ、駐車場を探す。最も見たい「五大堂」付近に駐車し、まずは五大堂を見る。建物はもとより、その歩道、建物からの眺望、その全てが、今まで見てきたどの建造物とは違い美しかった。そして、水平線までも見える景色の中に点々と島々が映る景色に固唾を飲んだ。

  ホモはプレゼントが好き!

たとえ高価ではなくとも、好意を持っている人から何かプレゼントして頂けると、胸がキュンとなってしまう。それが「俺が買ってやるよ」的な発言とともに買ってもられるのなら、もう即倒ものである。

  松島もそこそこ見た後の、土産物店で物色している時に金運が上がるという御守りを買ってもらった。それには金箔を練りこんだひょうたん型で見た目にも金運が上がりそうだ。その嬉しさにわざわざ上海から仙台まで乗り込疲れも吹っ飛んだのである。

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  土産物店を物色しながら、ランチの店を物色。本当は寿司を食いたかったのだが、すでにお目当ての店は営業終了。仕方なしに隣にあった牛タンの「利久」に入る。

  どこにでもある利休。だからこそ、わざわざ松島まで来て利休に寄る必要も無いと考えていた。しかし、その偏見が間違いであったと店内のメニューを見た瞬間にわかった。松島店限定のメニューがあり、刺身などがセットになった定食があったのだ。それを注文し、他に気になったメニューも注文した。

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  たらふく食いながら話していると、松島観光などということは既に頭から離れ、気づいた頃には土産店は閉まり、次第に太陽も沈みかけている。かなり駆け足で残りの松島を見て、仙台に戻ることにしたのだ。

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(つづく)

 

I have a high masculine ability

 
俺は男子力が高い

待ち合わせは「俺のエステ」の看板があるセブンイレブン

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この看板を左に曲がれば、古くから営業してきたであろう古びた数店舗の風俗店がある路地に入る。アジア女性が怪しげなマッサージの勧誘をしてくるのを横目に見ながら、自分は目的の場所に向かう。夜の9時に一人でその路地を歩き、さらにこれから日本人が殆ど居ない火鍋店に向かうのだから、自分のワイルドさ=男子力の高さは半端ないと思う。

  関西最終日は、日本橋に行ったのである。東京の「にほんばし」ではなく、大阪の「にっぽんばし」だ。この「にほん」か「にっぽん」かの読み方一つで、大幅に街の雰囲気が違うものだから面白い。大阪の日本橋は、かのグリコの看板やかに道楽のカニの看板で有名な街である。

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  やはりこの奇抜な看板は東京には無いと断言できる。さらに営業時間中はカニの足が動くのである。認知されていなければ、気持ち悪いことこの上無い。そして中国人観光客が大挙して集まるのが、東京の日本橋であるとすると、大量の中国人が住み着いているのが大阪の日本橋である。これが、ただでさえカオスな感じがする街を、さらに混沌とさせている理由に違い無い。
  そんな中、自分たちはとある火鍋店に向かう。薄暗い路地に赤色の文字に照らされている看板をみると、それはまるで現地に来たかの様。店内には、ほぼ日本人はいなく、中国語ばかりが聞こえる。そんな中で、火鍋を食べた。
 
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  私は東新宿にある火鍋が一番美味しいと思っているのだが、こちらの火鍋もなかなか捨てがたい。ゴマだれにクミン油を入れて、肉を食べる。おそらく肉もそんなに高いものでは無いと思うが、それでもたっぷりとスープを吸った野菜とともに頬張ると美味く感じるから驚きだ。ゴマだれに飽きた頃には、ツケダレをポン酢に大量のパクチーを入れたタレに変えてまた頬張る。
  身体に火鍋の匂いが染み付いたかの様に、食べ、食べ、食べ尽くした。そのあとは鍋の熱気と火鍋で火照った身体をクールダウン。それは中華圏から日本に戻る儀式のようなもの。ポカポカする身体を夜の道頓堀で冷やす。まだ5日にもかかわらず、道頓堀は閑散としていた。
 
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  帰り道に、道頓堀の端っこを少し歩く。この光景、何処かで見覚えがある。
 
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  この道路幅、左右に所狭しと建てられている店舗、ゴミの出し方、そして街灯の色までが、韓国の一大繁華街、明洞を彷彿とさせる。ただ違うのは、ここは日本であるということと街に人が少ないだけ。やはりここは「大阪民国」であったのだ。過去の自分の思い出がそう主張する。
  その様に思いながら、これまた韓国と同じ様に、片言の日本語で怪しげなマッサージの勧誘を受けながら部屋に戻った。
 
同行者;某T氏