Fitzgeraldの日常

通訳案内士資格保有の貿易業の日常を書き綴っております。

Let's go out sometime soon.

そのうち遊ぼうよ

と話してから1年近く経ってしまったが、私は先日大阪の地に降り立った。大学時代の友人と同窓会に参加するためである。ちなみに大阪の、宗右衛門町に来るのはかれこれ7年ぶり。ただでさえ土地勘が無いのに、大阪でも屈指の盛り場の変化に対応しているはずもなく、全くの旅行者風。なんとか携帯を見ながらその場所に赴いたのである。

  さて、同窓会に行く前に今日、この宗右衛門町に来たのには理由がある。そう、先日早稲田店で2日間一緒に遊んだ某氏の所属がここなんば店で、今度寄ると約束をしていたのである。難波とは名ばかりで、実際には日本橋だし、関西空港からだと南海鉄道を利用して天下茶屋駅で乗り換えるという、なんとも行きづらい場所にあったのである。

  2週間ぶりぐらいの某氏との対面。普段行き慣れている所とは違い、アウェイ感が半端なく、それでも対面をした後は、2週間ぐらい前のことであるのに、懐かしさがこみ上げて来たのである。

  まずは腹が減っていたので、近くでご飯に行く。といっても、見知らぬ土地ではあるので、馴染みの店などは無いのであるが、その点はあらかじめ詳しい友人にリサーチをしてあった。

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道頓堀川を渡り目的の場所に行く。昨今、銀座や新宿、そして渋谷でも多数の中国人を見かける様になったが、ここ大阪でもその状況は全く変わっていない。というよりかは、こちらの方が多いのでは無いかと思えるぐらいの中国語を聞いた。すれ違う人はほとんど中国語を話しており、日本語を聞く回数の方が少なかった。そんな中、自分たちは穴場だと教えられた火鍋店に向かったのである。
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  おそらく、この店構えを見て入ろうと思う日本人は少ないだろう。実際、店内は相当な数の客がいたが、日本人は自分たちの組だけ、それ以外は全員中国人であった。メニューはただ1つ。火鍋だけである。それも全部食べ放題。すごく簡単なシステムであるので、席に座るなり、無愛想な中国人スタッフが鍋と野菜類をテーブルに置きにきた。
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  鍋が煮立つまで、タレの準備。こちらも本場中国大陸式で数種類のタレを自分の好みに合わせて混ぜ合わせて行く。自分は一番好きなゴマだれ+コマ油に大量のパクチーを投入したタレでスタンバイする。
そしてこちらは、一人1つの小鍋スタイル。最初は白湯で楽しみ、徐々にスープを辛くして行くスタイルなのだ。
ここから2時間大量の肉と野菜を食べつつ、久しぶりの会話を楽しんだ。
  そして運動がてら宗右衛門町周辺を歩く。ドン・キホーテにも中国人客でごった返しており、驚いたことに、店内表記が日本語よりも中国語の方が多い有り様。爆買という言葉を聞いて久しいが、その恩恵に与かっているのは東京ではなく大阪なのかもしれない。
  道を歩くたびに、キャッチが声を掛けてくる。それも流石、大阪風のキャッチで、思わず立ち止まってしまう程面白いのである。なにもかもが普段とは違った雰囲気で、本日をふくめて2回目なのに何処かよく通ったことがあるかの様な相反する感覚が感じられ、夜散歩は非常に面白かった。
  一部では大阪のことを「大阪民国」と呼ぶ風潮あるが、その一つの理由に、他の地域とは違った「何か」を敏感に感じ、それを揶揄しているのだろうかとも思える。
  大阪市は日本でも珍しくソープランドが市内に一つも無い。花博の時に一網打尽に摘発されたのである。その一方、飛田新地は、旧遊郭・赤線地帯を残すエリアとして未だに多数の自称「料理店」が夜な夜な営業を続けている。合法的に届けられたソープランドが摘発をうけ、非合法である料理店が営業を続けている現状は、中央=東京の概念からすれば非合理的ではある。だけれども違うベクトルから見ると非常に合理的なのかもしれない。先ほどの風俗店の話であれば、飛田新地の料理店は、一切の暴力団との関わりが無いことと日本人である事が営業をする前提だという。その様に考えれば、ソープランドの様に営業の確認をしているだけの上っ面な管理よりも徹底している、とも思えるのだ。
  確かに大阪は、何か日本の他のエリアとは違った方向性でもって動いている様に思える。そして、夜の宗右衛門町は、ゴミ袋の出し方や、捨てられたタバコの吸い殻、そして立ち話をしている人たちまでもが、韓国の、夜の明洞を彷彿とさせる。街中を照らす明かりまでもが、自分が一時期通いつめた明洞の中心部に酷似しているのだ。
  先ほどの相反する感覚は、間違いなくこの理由だろう。そして自分は改めてここは日本ではなく「民国」なのだと思うのであった。
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